当時、英国の植民地統治下にあったインドの独立の父・ガンジーは、
このときどのような結論を下したか。
蝋山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、1983年6月発行版274~276ページ)によると、
「わたしは、イギリスに在住しているインド人は、戦争にささやかな寄与をすべきである、と思った。イギリスの学生たちは、志願して陸軍に勤務していた。インド人も、これに負けずにやるべきだった」
「戦争への参加が非殺生(アヒンサ)とけっして両立するものではないことは、わたしには全く明らかであった。しかし人間の義務については必ずしも人々に明らかになってはいないのである」
「イギリス滞在中、わたしはイギリス艦隊の庇護を受けていたし、またその武力の下に避難していたとき、わたしは、その潜在的暴力のなかに直接加わっていたのであった」
…とあります。
当時、ガンジーは英国を通じて、自身とインドの現状の改善に期待していたそうで、
ガンジーが英国との連繋を維持し、その旗のもとで生活しようとする方法のひとつとして、
「イギリスの側に立って戦争に参加し、それによって戦争の暴力に抵抗する能力を獲得すること」でした。
さらに、
「盗賊の一団に参加を志願し、彼らの荷物運びまたは彼らが仕事をしている間の見張りとして働く者は、盗賊と同じように、どろぼう行為の罪を犯している。それと同じように、戦闘で負傷した者を介抱しただけの者でも、戦争犯罪からのがれるわけにはいかない」として、
「非殺生の見地から、戦闘員と非戦闘員との間に区別を設けない」ことも明言しました。
そのうえで、
「戦争参加を願い出でることがわたしの義務であると結論した」のです。